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子供のお祝い「お食い初め」という伝統儀式

鴫原質店の弟さんです。

日々の作業が膨大に積み重なっており、ブログの更新という感じの状況ではなく放置してしまいました。この状況は暫く続きそうなので、今回は暫く前に一度アップした後、一日で公開を止めた私的な日記を再公開させて頂きます。一応定期更新を目標にしていますが、今回は繋ぎということになりますかね。

さてさて、今回の内容は随分前の休日日記です。気づけばこのカテゴリーは、前回の更新から随分時間が経っています。月2回の更新目標はどこにいった?(汗)。とはいえ、コロナ渦の関連で外出や外食は控える生活を続けており、子供と公園にいく以外はあまり変わった事をしていないので、書ける事がないのも現状。そんな中ではありますが、とある休日に家族で「お食い初め」のお祝いをしましたので、今回はそれに関して書いてます。

この日(どの日だ?)は、ドチビの「お食い初め」の儀式をおこないました!。(パチパチパチ=拍手)お祝いの食事数日前に楽天市場で注文した鯛(手抜き?!)を中心に、ハマグリの汁物や赤飯を【自家製】で作り神棚に納めます。「ちゃんとしました!」的な記念撮影をした画像があって良かった。おかげでブログが書けます‥‥。因みに【自家製】と強調しましたが、私が料理したものではなく奥様が愛情を込めて作った料理です。

ウィキペディアで調べてみると「お食い初め」は平安時代から続く儀式のようですね。食事の真似事をしている写真一汁三菜(いちじゅうさんさい)の祝い膳(いわいぜん)を用意して「一生涯、食べることに困らないように」との願いを込めて食事をする真似をさせます。やってる方は意味不明な充実感がありますが、小さな子供にとっては迷惑な話でしかありません。

子供に関連した行事で昔から続く伝統的なものは多いですが、それらを繰り返し何度か経験し、その場で見てきた事や感じてきた事が累積して、私独自の怪しい思想にいきつきました(←いけない発想です)。それはこのような行事が昔ながらの祈りや願いという枠を超え、親の自己満足感の為にしっかりやっているという事。「お食い初め」は子供にとっては優しい儀式ですが、1歳の誕生日にする「一升餅」は幼児虐待のような感じがして胸が痛いです。何故に足が弱い小さな赤ちゃんに重たい物を背負わせて転ばせるのか。3歳の時の七五三では、言う事を聞かない子を怒鳴る親御さんを何度も見てきました。衣装が汚れるとか時間の都合とか本当に色々な要因はありますが、結果して子供の為のお祝いである事を忘れがちです。私自信も「子供なんてそんなもんだ」と色々許せるようになったのは数年前からで、上の子供の時は色々と叱ってしまった後悔がいつまでも残り続けています。

夕食はお祝い事という事もあり「回るお寿司」をテイクアウトしました。テーブルに並んだ大量のお寿司結構な量に見えますが5人分なので丁度いい位です。「お食い初め」って子供の為のお祝いですが、このお祝い事を楽しんでいるのは親に他なりません。ちなみにこれははま寿司(はま寿司公式ホームページ)さんのお寿司です。宣伝ではありませんが、テイクアウトのシステムがとても便利でお勧めです。

更には食後のケーキ。食後のカットケーキ一応頭数は揃えて6個ありますが、赤ちゃんは食べる事ができません。繰り返しますが「お食い初め」って子供のお祝い事ですが、楽しんでいる又は満足しているのは親に他なりません。残った一つは誰のお腹に入っていくのかな?。

そして次の日、朝食を食べていると冷蔵庫を見た奥様が「あ~~」と奇声を発しました。出すのを忘れていた煮物「だすの忘れた~」と冷蔵庫から取り出したのは煮物。一汁三菜の欠けていた1品のようですが、「いいんでないかな」と本心で言いました。そしてこれも本音ですが、誰にも迷惑はかけておらず親の自己満足がほんの少しだけ削れただにすぎません。(このブログは奥様もたまに見ているので、喧嘩にならなければと願います。)

前も書いたことがありますが、歴史上の統計で子供の出生率が極端に低い時に新しい命を授かりました。ソファーでくつろぐあかちゃんそしてあまり見向きされない恐ろしい現実があります。2021年以降、昭和47年生まれから続く「団塊のジュニア世代」が50歳となり、それに私も含めた年代が数年後にそこを通過していきます。国立社会保障・人口問題研究所の人口将来推計によると、来年(2020年)には、日本の女性の過半数(2人に1人)が50歳以上になり高齢化社会が加速します。今の時代では「40歳代」は男女ともに若い世代と位置づけられ、実際に質屋組合でも消防団でも地域のおやじの会でも、私は最若輩の一人です。この傾向と考え方は我々世代が生きている間続いていき、恐らくは「50歳代はまだまだ若造」→「60歳代はまだまだ若い世代」→「70歳代はまだまだ働き盛り」といつまでも永遠とシフトして続いていくのでしょう。

それに関連して社会も大きく変わっていきます。今現在の宮城県の人口はだいたい230万人で、65歳以上の人口が63万人らしい。単純に考えても近い将来に市町村として成り立たなくなる地域が、東北地方では多いと簡単に想像できます。経済とか社会情勢とかの情報が好きな私ですが、この子が成人する20年後の日本の状況とかを想像すると凄く怖くなります。お店とか会社とか、商店とか町自体とか、いったいどのくらいの割合で変化するのか想像すらできません。

直面する問題では近くの小中学校が廃校にならない事を心より切に願います。宮城県の公式ページで定期的に更新される情報を見る事ができますが(「設置・廃止等学校一覧」)、比較的近い地域の学校が閉校されるというニュースを見ると異世界の話ではない事を改めて実感します。

本日は以上でございます。