2019年12月19日
鴫原質店の弟さんです。
昨日12月18日、お店を閉めた後に家族で光のページェントを見てきました。
定禅寺通りの入り口のシンボルツリーは今年も健在!
昨年同様に「スモー ワクワクツリー」でした。今年も協賛ありがとうございます!
2018年の事です。2017年まで協賛し続けていた会社が協賛を止め、シンボルツリーの企画自体がなくなりそうになったときに手を挙げてくれたのがこちらの会社です。一般的には気がつかないことが多いと思いますが、入口のヒマラヤスギのキラキラは莫大な協賛金(広告費)で成り立っております。
平日なので人もまばらで、子供達は定禅寺通りのシンボルの銅像ポーズを一生懸命真似て遊んでおりました。
気温も暖かいのでほのぼのとお散歩し、西公園まであるいて戻ってくるというロングランです。そして夜22時に全ての電球が消えるのを見て帰路につきます。人によっては「ページェントが衰えてきた」という方もいるようですが、私の感覚では昔ながらの光のページェントに戻ったと思っております。
というのは冒頭でも若干書いたシンボルツリーについてですが、私も若かりし頃に関わったことがあります。2004年の事でした。私は大手通信会社で販促担当をしていたのですが、広告代理店を通じて初のシンボルツリー協賛案件があり、このシンボルツリー登場の現場を見てきました。私が担当者ではありませんがグループの一人がメイン担当なので、色々な打ち合わせやデザイン決定場面を3年間体験させて頂きました。
最初の協賛金は〇千万(金額伏せます)です。それでも、とてもいい協賛金だという社内評価があったのを覚えております。2年目からは、協賛金が上がったうえに企業色を減らせという実行委員会からの指示もあり道路側の看板が設置できなくなりました。また反対側の公園に競合他社が非常に大きなブースを出しました。3年目も同様で、協賛金は更に上がり、どんどんとページェントの規模が拡大していきました。
退社後の事は分かりませんが、協賛をした企業の特権は次の年に優先的に同じことをやれることです。競合他社の兼ね合いもあり止めるにやめられず費用が拡大していき、またその広告効果も限定的なので終止符が打たれたのかもしれませんね(推測です)。いずれにせよたったの2社で億近くの協賛金を出し合うことで規模が拡大したのは間違いありません。
シンボルツリーが誕生して3年目の2006年から、協賛企業名の露出が極端に減らすような指示もあったので、このシンボルツリーが協賛物件であることを知っている方は恐らく少ないはずです。その2社が協賛をやめただけで、光のページェントの展開面積が大きく狭まりました。それゆえ光のページェントの規模が小さくなったと指摘する人も多いのでしょう。
私個人は「前に戻ってきたかな」という感覚で見ており、2003年の光のページェントよりは今の方がずっと盛り上がっているように思えます。シンボルツリーも健在ですし決して衰えてなどおりません。
定禅寺通りの入り口の存在感たっぷりの「光のページェント シンボルツリー」は、本当に光のページェントの顔的な役割になったように思えます。仙台の冬の風物詩といっても恐らく誰にも注意されません。1社による莫大な広告協賛物件などにせず、光のページェントの一部として残して欲しいなと思います。来年も入口でキラキラと輝いていてれればいいですね。