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明治時代より続く実家について(後編)

鴫原質店の弟さんです。

明治時代よりそこにある実家(嫁方)に関して、前回は家の中を部分的に見てきましたが、今回は敷地内の外を散策していきます。今でこそ手の届かない部分は劣化してますが、明治の建築当時は本当に凄い場所だった事が想像できる風景があちこちにあります。敷地内ではありますが、危ない場所もありチビ達は散策に同行させませんでした。理由は見たままなので、ご興味がある方はご覧ください。それでは続きを始めさせて頂きます。

母屋のすぐ先にはこれまた大きな建物があります。馬小屋の外観これは馬小屋らしく昔は馬を飼っていたという事。馬を飼育していた時代については既に分かりませんが、とても大きな施設です。昔っていつなんだろ?。

中に入ると荒廃が目立ちます。馬小屋の内部木材の腐敗により天井が部分的に崩れ落ちており、この状態で長い期間が経過しているようでした。中にいるのは結構怖いので早々に外に出ます。

次は奥の方の開きっぱなしの扉から中に入ってみます。馬小屋の奥の方から内部をみた画像小屋の中に雑草が生えている様子を見て長女が言います。「ジブリの映画のワンシーンみたいね」との事。「なるほどね」と少し共感。人が手を加えない物は自然に溶け込んでいくことが、目の前にある光景なのかも。錆きっているカンさえもそのうち自然に浄化されていくのでしょう。

外には蛇口があり水がでる場所があります。外に設置された蛇口でもこれは水道水ではありません。蛇口からでてくる水は山を一つ越えたところに湧く浄水を電気でくみ上げているらしい。この地区には井戸の跡が多く見られますが、さすがに井戸水はもう使ってないとか。

その先には畑があります。畑で育つ野菜の画像
畑では野菜が育てられていました。季節の野菜を必要分育てているのかな。野菜をおいしく大きく育てる方法について、お茶のみ仲間の日常の話題のようです(←嫁談)。

敷地内には荒廃した建物が他にもいくつかあります。荒廃した建造物画像左上の建物は2階建ての大きなもので、造り的に何かの倉庫だったのかな(←事実不明)。薪小屋のような小規模の建物もあり、各建物の当時の役割など調べるのも面白そうですね。ただ、手を付けない建造物は自然に飲み込まれていく様子がみられます。天然素材(主に木)で出来た建物なので、このまま放置しても自然に無害という点はとても素晴らしい事です。

母屋と馬小屋の間に裏山への道が開かれています。裏山への道この山も敷地内でその奥には広大な竹林があります。昔は稲を纏めて干す道具をこの竹を切って造っていたとか。確かに切り跡が散見されますが、最近は放置気味のようです。以前はここで取れたタケノコを沢山頂き美味しくいただいていましたが、それこそ私にとって「昔のいい思い出」となってしまいました。竹林も手入れをしないと増殖していきます。馬小屋の後ろには竹がびっしりと生えており建物を飲み込むのも時間の問題のような気がしてます。自然って凄いね!。

竹林を進みながら山を登ると、少し先に何かがあるのに気づきました。竹林の奥の建物実はこの辺は初めて来たところで、長女と一緒にワクワクしながら進んでみました。もちろん道などありませんし、落ち葉が深く徒歩での道のりは険しい場所です。

近くまで寄ってみると衝撃的な光景を目にします。倒壊した建物日常ではみる事のない家の倒壊現場・・・。後で聞いてみると、お嫁様が子供の頃はこの家で遊んだ記憶があるとか。人の手が届かない建造物が自然に飲み込まれているのを目のあたりにするととても不思議な感覚です。この建物がいつ倒壊したかについて正確なところは分からず、気づいたら倒壊していたらしい。なんだか少し怖いお話ですね。

これは母屋の裏にあるトイレの外側です。トイレの外側為壺便所なのは当たり前ですがその浅さに驚きます。ちょっと角度を変えると見てはいけないものが見えます。人間の排泄物を肥料として使っていた時代の構造では、肥料を取りやすいように浅い造りになっていたのかな、というのは私の勝手な想像。でもこの方が実際に汲み取りやすいよね。100年という月日で人々の暮らしは激変しましたが、そういう名残を感じます。

母屋の縁側に座って庭を眺めると石蔵が2つ視界に入ってきます。庭の風景何代か前の家主様が質屋を営んでいたらしい。この蔵に入った事はありませんがその機会があれば中を見てみたいですね。お父さん(義父)はただの物置だと言っていますが、歴史的に貴重なものが見つかったりして(笑)。

代々家を守り続ける事など、そもそも今時の考え方では真似する事はできません。自分の家を建てたいとか、仕事の都合とか、便利なところに住みたいとか、親と同居したくないとか、他にもいっぱい・・・、今では普通と感じるそのような考え方が家の継承の弊害となります。

当たり前の話ですが、家を守る男性に女性が嫁ぎ、そしてその家に新しい命が産まれ、そしてその子が成長して次の世代に引継ぐという事をここでは数世代も繰り返し、その結果として「奥様」がこの世に誕生しました。私の生活圏ではこのような家(←家系という意味)は見当たりません。どの世代でも色んな事があり我慢や自己犠牲もあったはずです。とにかく心からすごい事だと思っているので、お家を守り続けてきた顔も名も知らぬご先祖様にお礼を言ってみたりしてます。そしてまた、明治時代という映画や書物の世界から、長い期間多くの変化を重ねてここに今残存する事が、壮大な物語のように感じてとても気に入ってます。残念ながら奥様は余り好きではなさそうですが・・・。

好き勝手に書いているので、奥様や親御様に見られたら怒られそうな気がしてきました(汗)。どうか私の無事を御祈り下さい。

本日は以上でございます。